傷だらけ父さんのHappy Life Journey -マルファン症候群と共に生きる-

難病(マルファン症候群)をもち、これまで多くの手術を経験。そんな傷だらけ父さんの闘病記とハッピーな人生を追い求め挑戦する姿を紹介します。同じような境遇にある人、支える人達の不安を和らげ、諦めない気持ちへのエールになれば幸いです

大動脈解離 B型 ③保存的治療(ICU~入院治療)

 2017年7月に14年ぶりとなる大動脈解離を発症し、職場から大学病院まで救急車で緊急搬送された(2回目となる大動脈解離発症については→コチラ)。

 14年前に発症した大動脈解離は大動脈基部(大動脈弁を含む心臓から一番近い部分)の大動脈が裂けるスタンフォードA型と分類される大動脈解離だった。その時は緊急手術が必要で、生存できるのは発症した人の50%と聞いていた。そのため、今回緊急搬送され、CT検査後に、 ”大動脈解離“ の診断結果を聞いた時は、明日にでも手術があるかもしれないと覚悟した。

 ただ、今回の大動脈解離は前回と違った。大動脈の裂けている範囲は、肩甲骨あたり(大動脈遠位弓部)から股の付け根(腹部大動脈)までの下降大動脈と区分される部分で、大動脈解離スタンフォードB型と分類されるものであった。裂けている範囲こそ広いものの、手術はせず、絶対安静と薬による血圧コントロールで保存的治療をするとのことであった。緊急手術はないものの、”解離した大動脈が破裂しないか?もっと先の部分にかい離が進む再解離にならないか?”といった心配があり、入院中は、”大丈夫。元気になれる。”という前向きな気持ちには正直なれなかった。

 記事を書いている今現在(2020年)からおよそ3年前の記憶であったが、当時の入院計画書や、メモを残していたスケジュール帳、奥さんが毎日つけていた日記のお陰で当時のことをある程度正確に思い出し書き起こすことができた。特に私の記憶だけでなく、奥さんの日記を振り返るとわかるのだが、当時はこれからどうなるのか分からないという不安や心配で一杯の日々だった。奥さんも私も、これからどうなるのかといった情報を必死で経験者のブログで探したりして、その度に不安が増したり、辛く眠れない日々を過ごしていた。

 この人生で一番辛かったと言えるこの時期の思いが、私の経験を伝えるこのブログを書く動機となっている。当時は不安と心配がある分、奥さんも私も経験者のブログや、専門的な医療記事(治療法など)をネットで調べた。安心と将来を考える情報欲しかった。ただ、調べれば調べるほど、辛い闘病日記と病状や治療法に詳しくなるだけで将来が見えなかった。”これからは一生この入院中のような生活をしなくてはいけない。やりたいと思っていたことはできなくなった。“と考えた。だけれど、あれから3年間の間に、仕事に復帰し、手術をし、解離性の大動脈瘤がありながらも会社でもバリバリ働けるようになり、海外旅行や転職もすることができた。

 今後、同様の経験(大動脈解離)を経験する方もいるだろう。また、今この瞬間にも家族が大動脈解離を発症し、どうなるか心配している方もいるかもしれない。今後共有していく私の経験と復帰の軌跡が、そんな心配を抱える方にとって、今後の人生を前向きに考える参考になればありがたい。

ICUでの7日間

 緊急搬送された日を含めて7日間をICU で過ごした。はじめの2日間は身体を動かすことがほぼ出来ず、とにかく繰り返す高熱と痛みに耐えていた。特に夜になると、自分の熱と血圧に対応して一定値で鳴り響く機械のアラーム音や、痛みで上手く眠れず悪夢にうなされた。恐らく、せん妄(ICUシンドローム)の症状の一つであろうが、本当は適度に硬いICUのベッドがウォーターベットのように感じ、埋もれる感覚に陥り、身体を少し動かすたびにチャポンチャポンと頭の中で鳴り響いていた。日中もせん妄は続き、少し眠りにつくだけで、空を飛んだりする変な夢を見るようになった。そしてその光景はやがて寝ていなくても、まぶたを閉じるだけで目の前に広がるようになった。(せん妄については「良き患者であるススメ」として詳細をまとめています→コチラ

  ICU3日目には、肺に水が溜まり十分な血中酸素濃度が確保できていないということで、顔を覆う大型の酸素マスクがつけられた。この酸素マスクは固く、強く顔に固定するタイプだったので、つけているだけで辛かった。ICUに面会に来てくれた家族とも喋れる気力はなかった。4日目には肺の方も徐々に回復ししていき、血中酸素濃度も一定の値に戻ってきた。その後は、ベッドのリクライニングの助けを借りて上体を起こして座りながらご飯(流動食やお粥)を食べれるようになっていった。

 そして、酸素マスクも軽いタイプのものに変わり、せん妄も無くなり状態は安定してきた7日目に一般病棟(循環器内科)への移動が決まった。ただし、この時も絶対安静の状態は変わらず歩くことはできなかった為、点滴や尿カテーテルは付いたまま、ベッドごと一般病棟への移動となった。

一般病棟での3週間

 ICUにいる間の記憶は正直に言うと、今まで何度か大病と手術を経験した私にとって、人生で一番辛い一週間であった。ただ、それを乗り越えて一般病棟(循環器内科)に移った後は、基本的には安静と薬による血圧コントロールによる治療で、辛いことは少なくなり、回復は順調に進んでいった。

 一般病棟に移って1日目には酸素マスクは鼻に掛ける簡易的なタイプに変わり、3日目には尿カテーテルが外れ、自分でトイレまで歩いていけるようになった。また血圧コントロールも点滴の降圧剤から、飲み薬へ変わり点滴の数も徐々に減っていた。一日一日何かが前進して回復していくのを感じていた。

 食事は一般病棟に移ってからは一般食になった。血圧コントロールのため、減塩メニューで味気なかったが、数少ない入院中の楽しみとして、毎朝連ドラを見ながらご飯食べていた事を思い出す。また、一般病棟での安静治療中は特別なリハビリはなく、体調に合わせて徐々に活動範囲を広げ、一般病棟に移ってから2週間後には病院内の売店まで歩いて行けるようになっていた。

 そして緊急搬送されてからちょうど1ヶ月後、解離している大動脈は安定していること、また、懸念されていた重要な血管(腎臓にいく血管など)を大動脈解離箇所の血液が固まり塞いでしまっているという事もなかった事から、退院が決まった。

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