傷だらけ父さんのHappy Life Journey -難病をバイタリティに変える生き方-

30代半ばにして小中学生2人の子供の父親。遺伝性の難病(マルファン症候群)による大動脈解離や複数回の大手術で体は傷だらけ。そんな傷だらけ父さんが、闘病記と、経験談に基づく”難病であることをバイタリティ(活力、希望に向かって進む力)に変える生き方のススメ”を紹介します。

大動脈解離 B型 ⑤保存的治療(合併症による再入院と手術決定)

仕事復帰2週目最終日、9月末に突然の腹痛

 人生2回目となる大動脈解離を発症してから2ヶ月半が経った。9月中旬から復帰した仕事は体調が万全ではないとはいえ、まずまず復帰できている感触を掴んでいた。また、病状を理解してくれた会社の意向で、激務で倒れた部署から馴染みのある旧所属部門へ異動が決まっていた。 “10月初日となる明日からは、心機一転。新しい(よく知った)部署での仕事だ。“と意気込んでいた。デスクの引越しや部署のメンバーへの挨拶も終えた9月末の日の夜中、自宅ベッドで寝ている時にそれは起こった。

 ”腹が痛い。息が吸いづらい。“

 そして、その痛みはだんだんと強くなっていった。奥さんに、「何かお腹が痛い。やばいかもしれない。」と言った後からは、痛みでベッドから起き上がれなくなった。その時は、”(大動脈解離でできた)大動脈瘤が破れたかもしれない。これはもうダメかも知れない。“と思った。同じ最悪の事態を想定した奥さんが、夜中1時半くらいではあったが、救急車を呼んでくれた。

 救急車が到着し、救急隊はすぐに寝室で血圧や症状の確認を始めた。奥さんから救急隊に二ヶ月前に大動脈解離を起こしていること、大動脈解離による大動脈瘤が身体にあることが伝えられた。そして、入院・通院していた大学病院に搬送された。

 その時の記憶は、お腹の痛さと苦しさではっきりしていないが、救急隊が測定した血圧を読み上げた時、今まで聞いたことはない低い値だったということ、夜中にドタバタと起こされた子供らは意外にも「行ってらっしゃい。」とでも言いそうなぐらい冷静だったことを覚えている。こんなに何度も救急車や入院、手術を経験した話のある親を持つと、その親の子供はそんな状況も慣れてしまうのかも知れない。ストレッチャーに横になり玄関を出る時、そんな彼らと同伴する奥さんを薄目で見ながら、”ありがとう。人生楽しかったわ。”と思い、奥さんに「本当、ありがとう。」と伝えた。奥さんはそれどころでは無かったので、その言葉は覚えていないだろうが、それくらい”もうダメかも知れない“と思わせる痛さだった。

2ヶ月半ぶりの救急車での緊急搬送

 そして、実に2ヶ月半ぶりに同じ病院、同じ緊急治療室に救急車で戻ってくることになった。緊急治療室では、直ぐに手順良く応急処置が施された。着ていたTシャツはハサミで切り裂さかれ、医療ドラマで良く見る「イチ、ニ、サンッ!」という掛け声とともにストレッチャーから集中治療台に広げられた手術着の上に移された。その手術着が薄いのもあったかも知れないが、ガタガタと身体の震えがずっと止まらなかった。手が震えている影響もあったのだろう、手首の動脈にいれる点滴(Aライン)の点滴針を刺すのにドクターは少し手こずっていた(3回目位にやっとうまく入った)。その後、準備ができたCT検査室へ移った。

 余談になるが、夜中の緊急搬送はおススメしない(そんなこと言ったって無理なものは、無理だが)。夜中は基本的に看護師さんやドクターの数が少ない。ドクターも病状に合わせて対応できる人が待機している訳ではない。実際、上記したAラインの点滴針をいれるのを頑張ってくれていたのは研修医だったようで、周りから色々アドバイスされていた。以前テレビか何かで見たが、担ぎ込まれるなら夕方4時頃が良いらしい。今までICUやら一般病棟に何度も住み着いた経験から、私もそう思う。夕方4時あたりは日勤と夜勤の入れ替わりで人が多くいる。とは言え、先ずは夜中には担ぎ込まれないことだ。もし万一、体調の異変を感じて、”このまま悪化したら夜間に救急車のお世話になる。” と頭によぎった場合は、できるだけ早く病院にいく事をおススメする。

診断結果、そして再入院 

 ドクター達がCT検査の結果をモニターで見ながら話し合っているのが横目に見えていた。ただ、直ぐには結果を伝えに来ない。そしてしばらくした後、CTの診断結果を集中処置室のベッドの上で聞いた。想定していた大動脈解離・大動脈瘤とは別の場所に痛みの原因があった。

 CT検査の結果をドクターから、「専門的に言うと、門脈内ガスが認められます。肝臓のところにガスが詰まっていて、これが激痛の原因と考えられます。とても稀な病気です。」と伝えられた。どうやら大動脈は大丈夫そうだ。ただし、小腸の炎症が収まらず、小腸が壊死するようなことがあると危ないとのことで、入院して治療することになった。(後で調べて知ったのだが、この門脈内ガスという稀な病気も結構致死率の高い病気だった)

 結果を聞く頃には、鎮痛剤の点滴のおかげもあり、耐えることのできる痛みに落ち着いていた。よく救急隊やドクターに、「いまの痛みは今までで一番痛かったのを10とするとどれくらい?」と聞かれるが、夜中に発症した時は人生で一番痛い10の痛みだった。それが、その時には4くらいになっていた。その診断結果を聞き、私の落ち着いた状態を確認した奥さんが子供の待つ家に帰ることが出来たのは、朝の7時半だった。

 それから10日間、ICUと一般病棟で入院・治療した。門脈内ガスの原因となったのは「虚血性腸炎」。大動脈解離に伴う合併症のひとつとして発症したのであろうとの事だった。1週間の絶食を含む治療の後に退院した。(虚血性腸炎についての詳細や入院については今後、別途「他の病気・合併症の経験録」としてまとめ投稿します。)

入院中に大動脈手術の決定

 9月にCT検査をした段階で、既に大動脈瘤の一番太い箇所(肩甲骨の裏辺りの遠位下降大動脈と呼ばれる箇所)が手術適応のサイズであったことに加えて、今回の虚血性腸炎の件もあり、入院中に心臓血管外科のドクターと話し、この大動脈解離でできた大動脈瘤の手術をすることが決定した。今回の手術は脳に血液が行く大動脈の近くから裂けている箇所の手術であり、脊椎の近くを触ることから、難易度が高く、麻痺や声が出なくなるなど様々な後遺症のリスクがある事も併せて伝えられた。後遺症のリスクは怖いと感じた。ただ、大動脈瘤を抱えながら生活をしていく中で色々な苦痛を経験してきた為、手術が出来るという判断に内心ホッとしていた。

ひと時の職場復帰

 次の大動脈手術は虚血性腸炎の退院からおよそ2週間後の10月末に決定した。手術まで休職するという選択もあったが、手術後に出来るだけスムーズに仕事に戻りたい。今なら少しでも働ける。働きたい。という気持ちがあり、1週間だけであったが職場(10月から異動した馴染みのある職場)に復帰した。虚血性腸炎の腹痛もだいぶ治まってはいたが、腹痛が怖く消化の良いメニューだけを少しずつ、ゆっくり食べるという食事を続けた。また、降圧剤もこのころから効きすぎている感覚が一層強くなり、買い物中にめまいで座り込むことがあった。食事と血圧に注意を払いながらも、久々の馴染みある職場での仕事を楽しんだ。そして、退院からわずか12日後、人生2度目となる大動脈手術に向け、何度もお世話になっている大学病院に手術前入院した。

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