傷だらけ父さんのHappy Life Journey -難病をバイタリティに変える生き方-

30代半ばにして小中学生2人の子供の父親。遺伝性の難病(マルファン症候群)による大動脈解離や複数回の大手術で体は傷だらけ。そんな傷だらけ父さんが、闘病記と、経験談に基づく”難病であることをバイタリティ(活力、希望に向かって進む力)に変える生き方のススメ”を紹介します。

大動脈解離 B型 ⑦手術後ICU~入院期間(遠位弓部下降大動脈置換)

手術からの目覚め 

 2017年10月28日。人生2回目となる大動脈手術の翌日午前9時ころ、看護師さんに起こされる訳でもなく自然と目が覚めた。目が覚めた瞬間、周りの雰囲気からICUにいることが理解できた。ただ、前回の大動脈手術の手術明けにあった重たく苦しい感じがない。人工呼吸器もついてないし、酸素マスクもついていない。 “もしかして、手術中に何かトラブルがあって手術が全部終わらなかったのかもしれない。また手術の続きがあったりするのかな”。 予想とは違う体の重たさを感じない手術明けの目覚めに、むしろ不安な感情を抱いてボーっと天井をみていると看護師さんが、「おはようございます。無事、手術おわりましたよ。良く寝ていましたね。」と声をかけてくれた。「よかった。手術は終わっているみたいだ」。

 目覚めから数時間後、ICUの面会時間に奥さんと駆け付けてくれていた家族がやってきた。そこで聞いたのが、「昨日手術が明けてICUに来た後は、暴れて点滴を自分で取り外しそうだから大変だったみたいだよ。手足を縛ったみたい。」と。いつものICUで目覚めた後の、苦しさや人工呼吸器の嫌な感じも何もなかったのは、目が覚めていたけれども記憶がなかったからだ。記憶がないのはせん妄(ICUシンドローム)の症状のひとつかもしれない。実際、奥さんの手術日の日記には、”手術が終わった後の顔は青白い。目も開いたり閉じたりで、管が入っていて話せない。苦しいとか、のどがカラカラとか話そうとしていた。”と書いてあった。やはり記憶がないだけでつらい手術明けの一夜はあったようだ。恐らく昨晩は看護師さんには迷惑をかけたのだろう。何れにしても、手術は予定通りに終わり、心配した合併症や後遺症もないようで安心した。

ICUでの3日間

 手術日を含めて3日間をICU で過ごした。麻酔から目覚めた手術の翌日(ICU 2日目)は、手術後と思えない程、頭がすっきりしていた。午後にはベッドを斜めに起こしてICUの中を見回したり、流動食を食べることができるようになっていた。面会に来てくれた奥さんや家族ともベッドにもたれかかりながら、座った状態で話せることができた。ただ、頭と意識ははっきりしている一方で、脇腹の傷が痛み、声を出すのは辛かった。せっかく面会に来てくれていたが、話し続けるには辛く、30分の面会時間が十分に感じた。

 呼吸や血中酸素濃度などに目立った問題もなく、順調に回復していることから3日目の午後には一般病棟に移れることになった。体内に溜まっている体液や血液を排出するドレーンチューブや、尿カテーテル、点滴、心電図の線などはまだ体のあちこちに繋がったままの状態ではあったが、一般病棟に移った日の夕方にはベッドの横で歩く練習まで開始できていた。

一般病棟での1週間

 ICUから一般病棟に移った次の日には食事のメニューは流動食からお粥に変わった。一般病院での2日目には尿カテーテルが外れ、自分でトイレに行けるようになった。動ける範囲が広がった分、脇腹の痛みを感じることが多くなった。ICUにいる間は動きが制限される上、ベッドのリクライニング機能に頼りっぱなしの生活であったので意識することが少なかったが、肋骨を含めて大きく切っている脇腹の傷口(背中から正面胸にかけて20㎝程)や肋骨の付け根(背中との正面)が痛い。その為、ベッドの寝起きや、咳をすると激しく痛むので、咳への恐怖がいつもあった。咳に繋がりそうな痰の存在をのどに感じては目が覚めて、そして小さい咳を繰り返して痰を出す。そんな熟睡できない日も続いた。

 ICUにいる間は以前の入院時に経験した“せん妄“を理解していたので、昼はできるだけ起きて、夜しっかり寝る事が出来ていた。(せん妄については「良き患者であるススメ」として詳細を紹介しています。→コチラ)

 一般病棟での夜も同じように、出来るだけしっかり寝る事を意識したが、咳やくしゃみが傷口に響く怖さもあってなかなか眠れなかった。そんな夜に熟睡できないリズムに慣れてしまった影響で、軽いせん妄状態に一時期なってしまった。夜中に眠れず頭が活性化されて、夜中3時にパッチリ目が覚めて本を読んだり、メモをしたりしていた。その時は頭が冴えて仕方なく、自分の思いついた仕事のアイデアや将来の計画がどんどん湧いてくる。また、そのアイデアを忘れはいけないと一生懸命ノートにメモを書いていた。今読み返すと、字も汚く何を書いているのか良くわからないし、非現実的なアイデアで全く使い物にならない。よくテレビなんかで、違法ドラッグ等をすると “なんでもできるような気分になる”とか、“頭が冴える”とか聞くことがあるが、その時も同じ感じなのだろう。一時的に“良い気分”にはなるだろうが、きっとそんな事をしたときのアイデアや記憶なんて全く使い物にならないだろう。それよりも、その状態になってしまった脳のダメージを元に戻すことの方がずっと大変だろう。

 傷口が痛むこと、また睡眠のリズムがうまく取れていないことを除けば、極めて順調に回復していった。一般病棟に移った6日目には点滴やドレーンなども外れ、シャワーを浴びれるようになっていた。そして手術から10日後、脇腹のドレーン跡にはまだ糸とガーゼが残っている状態ではあったが退院し、自宅療養に移行した。

 大動脈の手術という大手術であったのにも関わらず、過去の手術を伴う入院経験のなかで一番短期間の入院で退院できた。大動脈瘤の一部を人工血管に変えた良い影響があったのだろう、血流のめぐりが悪い事(虚血)による足の痛みも全く感じなくなっていた。“無事に手術ができてよかった。”という感謝の気持ちとともに、“よし、このペースで一気に回復だ!”という前のめりの気持ちで、意気揚々と退院したことを覚えている。ただ、この時は想像できていなかった。病棟内の行動範囲とは違う自宅での日常生活に慣れるには思っているより時間がかかることを。

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