傷だらけ父さんのHappy Life Journey -難病をバイタリティに変える生き方-

30代半ばにして小中学生2人の子供の父親。遺伝性の難病(マルファン症候群)による大動脈解離や複数回の大手術で体は傷だらけ。そんな傷だらけ父さんが、闘病記と、経験談に基づく”難病であることをバイタリティ(活力、希望に向かって進む力)に変える生き方のススメ”を紹介します。

大動脈解離 B型 ⑨3回目の大動脈手術(胸腹部大動脈置換)までの2年半

 2003年、19歳のときに初めての大動脈解離と緊急手術を経験した。そして、それから14年後の33歳で2回目の大動脈解離を発症し、入院と自宅療養による保存治療、2回目の大動脈手術も経験した。

*初めての大動脈解離にあたる大動脈解離スタンフォードA型の発症から手術(大動脈基部置換)、入院、退院、日常生活に戻る軌跡ついては下記カテゴリーにまとめています。

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 初めての大動脈解離発症から社会生活への復帰と、2回目の大動脈解離の発症から社会生活への復帰にはいくつかの違いがあった。

 一つ目の明らかな違いは、年齢と社会での立場である。初めての大動脈解離の時は19歳と体力があった時期であった。また、退院後の復帰する社会の場は大学生活であり、アルバイト先だった。一方、2回目の発症時は33歳と、着実に年をとり体力も大学生の時と比べれば格段に落ちていた。また、社会復帰の場は「職場」であったため、心身ともに良くも悪くも負担(ストレス)のある場所への復帰だった。この違いは心身ともに「以前の状態まで戻るまでに必要な時間」の差となって現れた。19歳のころは退院から4カ月後には大学生活にもアルバイトにもフルで復帰できていた。一方、33歳の社会復帰では、特に精神面で以前の状態に戻るには1年以上(学生時代の3倍以上)の時間が必要だった。精神面での回復に時間が必要だった要因は、「自分はこれぐらい出来るはずなのに」、「これぐらいはやれないと駄目だろう」 といった10年以上の社会生活の中で、知らず知らずの内に自分自身で積み上げて設定してしまっていたハードルのせいだったかも知れない。今考えると、そのハードルをもう少し余裕を持って客観的に考えて、「回復には今まで以上に時間がかかるものだよ。」と自分にアドバイス出来ていたら、もう少し気持ちに余裕のある回復期間・社会復帰期間を過ごせていたかもしれない。良く言う「日日薬(ひにちぐすり)」、「時間が解決してくれることもある」ということだろう。以前より年や経験を重ねた今だからこそ、この言葉の意味が良く分かる。

 また、1回目と2回目の間のもう一つの大きな違いは「まだ解離している大動脈(解離性大動脈瘤)が体に残っている」という事だった。私も、家族も、職場の方も、当然ドクターも、皆が解離性大動脈瘤が体にある以上それが破裂しないように(無理させないように)気を使っていた。自身も含めて皆が掛けてくれる心配と不安は、私にとって「やりたい事」にトライすることへのブレーキになった。1回目の大動脈解離の経験をして以降、自身の人生と時間に限りがある事を認識した人生プランを立てたり、「その時その時にできることを精一杯したい!」と考えていた私には、その妨げ(病状からくる制限)は、「このまま、おとなしく変化することなく生きていくしかないのかな。やってみたいと思う事は何にもできなくなってしまうのかな。」という不安と焦りに繋がっていた。また、予期せず起きた大動脈解離は、1回目の大動脈解離からの復帰以降、健常人と変わらない生活を送れていた私の、「将来の夢」や「やりたいことへの計画」を大きく狂わせ、自身の病気に対するどこにも当てつけようのない「不満」と「焦り」に繋がっていた。

 ただし、幸運なことに、2回目の手術から2年半後には、3回目の大動脈手術を受け、体に残る大動脈瘤を綺麗さっぱり人工血管に替えてもらう事が出来た(3回目の大動脈手術:胸腹部大動脈手術の経験については今後投稿していきます)。とはいえ、運良く手術が受けられるまでの間、私はおとなしく我慢していた訳ではなかった。この期間は、「体(大動脈瘤)は持つかな?大丈夫かな?」と気にかけつつも、自身の体調や回復具合に合わせて出来ることは、思い切ってどんどん前のめりにチャレンジした。さらに将来の残された時間を考え、「将来やり遂げたい夢、ありたい自身の姿に近づくため」、安住できたであろう14年近くお世話になった会社を去ることを決心し、「将来やり遂げたい夢」につながる機会のある会社へ転職もした。

 今考えると、自身の健康状態と将来の見えない「不安」や「不満」や「焦り」がむしろ、チャレンジする原動力”バイタリティ“にかわって自分を突き動かしていたように思う。

 いま大動脈瘤を抱えながら日々の生活に「不安」や「不満」や「焦り」を感じている方もいるだろう。また、大動脈解離を発症して、これから先の人生に対して色々な不安を抱えている方もいるだろう。私の過ごした大動脈瘤を抱えて生活した2年半が“正解“だったかどうかは分からない。だけれども、2回の大動脈解離を違う立場や状況で経験して、社会復帰した経験は事実で偽りはない。

「今からの人生でまだまだやりたいことあるんだけど、ちょっと不安が。」という人にとって、前のめりで挑んできた私の経験が、何か”刺激“、”勇気“、“助け”になるのであれば有難いと願い下記に大動脈瘤を抱えて過ごした2年半の軌跡を紹介する。

 大動脈解離B型の治療(保存的治療、胸部大動脈手術)からの2年半の軌跡とライフイベント-胸腹部の解離性大動脈瘤を抱えながら-

2017年7月 :  大動脈解離B型 発症(詳細は→コチラ

2017年8月~ :  大動脈解離B型 保存的治療 (詳細は→コチラ

2017年10月末 :  胸部大動脈の人工血管置換手術(詳細は→コチラ

2017年11月~2018年3月 :  退院と自宅療養、職場復帰(詳細は→コチラ

2018年4月: 2回目の大動脈解離後 初めての宿泊旅行(電車移動で東京-熱海)

2018年5月: 2回目の大動脈解離後 初めての飛行機(奥さんの実家に帰省 東京-大分)。大分では家族でキャンプしたり、大動脈瘤抱えつつも温泉に挑戦した(初夏で寒暖差ない状態ではあったが露天風呂はやめておいた)

2018年8月: 2回目の大動脈解離後 初めての単身日帰り出張(東京-神戸)

2018年12月末: 2回目の大動脈解離後 初めて冬場に宿泊旅行(新幹線で名古屋と大阪へ)。大阪ではユニバーサルスタジオでアトラクションも挑戦

2019年1月: 大動脈解離に関わる障害年金手当の申請準備開始。(*このイベントをあえて書くのはとても苦い経験があったから。結果的に、時間、お金、手間を相当に必要としたのにも関わらず、年金事務所から納得の出来ない返答とともに、申請を受理してもらう事が出来なかった。このイベントについては別途記事を投稿する予定です。)

2019年2月: セカンドオピニオンを求めて2回目の手術をした病院とは別の県外の病院に診断を受けに行く(コチラについては別途記事を近日投稿予定です)

2019年5月: 飛行機で国内旅行(東京-大分)。この時に2回目の大動脈解離後初めて車を運転した。また温泉では露天風呂も入った。

2019年6月: 2回目の大動脈解離後 初めて単身での海外出張(2泊3日in中国)

2019年7月: 2回目の大動脈解離後 2回目の海外出張(4泊5日 中国国内の飛行機移動もあり。ちなみにこの時は、ハードな出張旅程もあってか、体調不良でホテルでダウンしていた1日もあった。その時の様子、経験は別途記事を投稿します)

2019年7月: 本格的な就職活動(転職)開始。9月に転職先決定。

2019年8月: 飛行機で国内家族旅行(東京-石垣島)。温暖な気候で体調も血圧も安定していた。ただ、西表島でのキャニオリング(川下り)は水温が低かったので、家族とは別に川べりを歩いて行動。

2019年12月24日: 14年間お世話になった会社へ最終出社。この最終出社日までの一か月間はいろんな方に送別のお食事に連れてってもらった(1カ月で計14回)。すごく嬉しかったが、今考えると2日に一回のお食事(呑み)は体には良くなかっただろう。

2019年12月25日~: 飛行機で海外家族旅行(東京-メキシコ) 詳細は→コチラ

2020年1月: 転職先での勤務開始

2020年2月: セカンドオピニオンを受けていた県外の病院でCT検査。手術の決定。

2020年4月: 3回目の大動脈手術(胸腹部大動脈置換)

 

なお2回目の大動脈手術から2年半後、2020年4月に受けた3回目の大動脈脈手術の記録についても別途まとめ、投稿していく予定です。

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